「還暦からの底力」を信じて③
出口治明先生の「還暦からの底力~歴史・人・旅に学ぶ生き方」を人生のバイブルにする
60代、70代の仲間(還底会)たちの
ちょっとヨタヨタした「レジリエンスライフ」を紹介して行くシリーズです。
これから還暦を迎える40代、50代のみなさんにもぜひ読んでいただきたいと思います。
「還暦からの底力」を発揮するためには、還暦になってから気づいても遅いのです。
いまから「底力」の土台を作っていきましょう。
よろしければ「還底会」にご参加ください。
https://www.facebook.com/groups/192023410265683/
「還暦から40年」の底力
母が亡くなって3カ月が経ちました。
99歳10カ月の大往生だったので、最後は「ありがとう。ごくろうさま。」
という気持ちで静かに送りました。
とにかく33歳の時に(私は4歳)夫を病気で亡くしてから66年間、
再婚をすることもなく、貧困にあえぎながら一人っ子の私を育て上げ、
私が結婚して別居することになってからは
95歳で介護施設に入るまでずっと一人暮らしという人生でした。
つまり58歳から40年以上も古い都営住宅でたった一人で暮らしていたのです。
謎だった母の人生
考えてみると母の還暦を祝った記憶もないし、
どういう生活をしていたのかその頃はあまり気にしていなかったように思います。
いま思えば自分のことしか考えず、本当に親不孝な息子だったと自責の念に苛まれています。
それでも私に娘ができてからは母が孫の顔を見るのを大変楽しみにしてくれたので、
必ず月に一度は家族で訪問していましたが、
その時にも母が普段何をしているのか聞いた覚えがありません。
ところが母が亡くなったことを、残されていた年賀状や住所録を頼りに
何人かのみなさんにお知らせしたところ、
母のお友だちと思われる方々から丁寧なお手紙を何通もいただくようになり、
その文面から母の日頃の行動や考え方が垣間見えてきました。
同時に母の部屋を整理していると、私の知らなかった母の様々な活動記録が出てきたのです。
ハイキングシューズとリュックサックと一緒に。
「人・本・旅」に生きる。
ある方の手紙には『K子さまがお勉強された資料をたくさんいただいています。
枕草子、源氏物語、御堂関白記などなど。とにかく熱心で
倉本先生の「御堂関白記講座」はいつも一番前・・・』
倉本先生と言うのはおそらく「御堂関白記」を訳された
歴史学者の倉本一宏先生のことだと思われます。
別の方の手紙でも『K子さまはとにかく古典がお好きで、
文学の背景になる平安時代の歴史を学ぶためにいろんな講座に通っていらっしゃいました。
また植物にも詳しく、大友旅人の歌に出てくる「あふち」の花について教えていただきました。』
調べたところ「あふち」と言うのは
現在では「せんだん(栴檀)」と呼ばれている紫色の花のことだそうです。
「栴檀は双葉より芳し」の「栴檀」です。
中には母を「人生の師」と言ってくださる方もいました。
そして母の昔を覚えていた親戚の一人からは
「叔母さんの死生観をよくお聞きしました。庭の植物、飛び交っている虫、
飼っていた鶏、猫を眺めながら、この動植物は皆寿命を全うし無に帰する。
人間の死だってそれと何ら変わらない、と。」
(父が存命の頃は、鶏や猫を飼っていたそうです。初耳。)
そして母の部屋からでてきた大量のノートと自分で綴じたと思われる数十冊の小冊子には、
こうしたお手紙の内容をなぞるように、母の細かい字で
書籍や講座の内容、そしてそれに対する感想がびっしりと綴られていました。
また大量の古い和紙も見つかり、一体何のためにとっておいたのか全く分からなかったのですが、
これもある方の手紙に
「書道の紙もたくさん送っていただきました。書道は紙が古いほど書きやすく
筆や墨のノリがいいと教えてくださったのもK子さまです。」
私は本当に驚きました。
そしてなぜ生きているうちにこうした母の素養や英知に触れることができなかったのか、
悔やんでも悔やみきれない思いで一杯になりました。
還暦が第2の人生のスタートライン
いま考えると、恐らくは私が就職し独り立ちするまでは、
経済的にも精神的にも私を育てるのに必死でしたでしょうから、
こうした自分の好きな世界に本格的に時間を費やすようになったのは
還暦の頃からではなかったかと推測します。
もしその頃出口師のAPU(立命館アジア太平洋大学)のことを知る機会があったら、
母はきっと別府まで出かけて行ったのではないでしょうか。
「教養を磨くには古典を読むに限る」
「教養はおいしい人生を楽しむためにある」
「60歳は人生の折り返し地点に過ぎない」
まさに母はこの出口師の教えを実践したように思えます。
親不孝の限りを尽くした私にとっては、
図らずもこうした母の学びへの執念とその楽しみ方を知ったことは
ほんの少しですが慚愧の念を和らげてくれることにもなりました。
手紙を送っていただいたみなさまにはいくら感謝しても感謝しきれません。
そしてまたある方の手紙に、『二人でよく行った湯河原城山ハイキングコースの最後の休憩所で、
K子さんがしみじみと「私、幸せな人生だったと思うわ」、と言われたことがあり
うらやましく思い、深く心に残りました。』
と書かれているのを読んで、思わず涙があふれてしまいました。
親不孝な息子の代わりに、こうした気のおけないお友だちのみなさまの存在が
母の心を癒していたのだと深く感じた次第です。
「還暦からの底力」の副題である「歴史・人・旅に学ぶ生き方」は
私の母の後半の人生そのものです。
そして母はきっと私の怠惰な人生に対し言いたいことがたくさんあったのだろうと思います。
「高齢者は次世代のために生きている」のだと。
あなたもまだまだやることがあるのだと。
合掌。
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