無駄力(むだぢから)を信じて。

なんでそんな無駄なことをするの?とよく言われます。

遠回り、先回り、何度も往復、余計な準備、こうしたことを厭わずにやってしまう性格です。

いまどきレストランの予約なんてインターネットで簡単にできるのに、

私は初めての店の場合、必ず実際に足を運んで場所と席を確認します。

どんなに評判のいい店でも雰囲気やレイアウトが「なんとなく違う」と感じるケースが多いからです。

逆に思っていた通りのいい店だったとしてもそれを「無駄足」とは思いません。

例えばクライアントや友達に案内状を書くときに、その店の良さや特徴を自分の言葉で書き添えることができます。

それに実際に行ってお店の人とひとことふたこと話したことで、次回は「常連」扱いしてもらえるメリットもあります。

 

そもそも「無駄」って何でしょう?

「労力」や「費用」に見合わないことをすること。「無駄遣い」「無駄働き」など。

「どうしようもない」とわかっていることをすること。「無駄口」「無駄話」など。

また最初は「無駄」と思わなかったけど、結果的に「無駄」になったこと。「無駄足」「無駄骨」など。

でも私はこう考えています。

人間にとってはこうした「無駄」も数多くの「経験」の一部であり、「経験」には「無駄」がないのではないか、

もっと言えばこの「無駄」が「力」になって、ある日ある時人生の「突破口」になってくれているのだと。

 

私は電通に入社して最初の10年間はコピーライターをしていました。

傍から見れば花形の職業でしたが、それは才能に恵まれたか、

もしくは感性の鋭いほんの一握りの人間だけにスポットライトがあたっているからであって、

私の場合、自分はそういう人間ではないのだと気づくまでに10年かかっただけのことでした。

その後営業に転出してからは仕事が面白くなりそれなりに実績を残したこともあり、

もっと早く自分に見切りをつけて営業に出るんだったと悔やみました。

自分ではこの10年を「失われた10年」と位置づけ、

私の過去を知らない人には敢えて自分のクリエーティブキャリアに触れないようにしたほどです。

 

ところがサラリーマン生活を終えて新しい世界にチャレンジすることになって、

この無駄に思えた10年のクリエーティブ経験が生きることになりました。

会社を立ち上げる際に必要とされる「コンセプトメイキング」と「表現」という思考プロセスが

それなりに身に付いていたお陰で、事業の方向性や自分自身の役割もうまく整理できたような気がします。

やはり経験に無駄はないのだと思いました。「失われた10年」と呼んですみませんでしたと自分の経験に謝りました。

 

キャリアコンサルタントの教科書に「経験代謝」という言葉が出てきます。

カラダが「新陳代謝」をするように、心は「経験代謝」によって過去の経験に意味を見出し、

それを実現することで、新しい自分を発見したり、新しい価値観を導き出すという「経験代謝サイクル」が生まれ

それがキャリア開発につながるというキャリアカウンセリング理論です。

 

「失敗」でも「困難」でも、「経験」にはすべて意味があり

それが積み重なり「人生」を形成しているのだと考えることはまさに「レジリエントシンキング」です。

どんなに辛くても、しなくてよかった「経験」はないのです。

いまは無駄に見えるその経験がいつか役に立つ日が来るのです。

そして「無駄」を排除したショートカット人生より、

多少回り道でもロング&ワインディングロードをゆっくり歩く

「レジリエントライフ」を楽しむ気持ちを持ち続けたいと思います。

 

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