キング・カズの「悲劇」と「屈辱」

「サッカーの話」。現横浜FCのキング・カズこと三浦知良選手のことは誰でも知っていますね。

でも彼のサッカー人生は決して順風満帆だった訳ではなく、

何度も逆境から這い上がってきた「レジリエントライフ」だったことはあまり知られていません。

でも大きなネガティブイベントが二つあったことは有名です。

 

ひとつは「ドーハの悲劇」。

 

アメリカワールドカップの最終予選で最後の最後にイラクに点を取られて日本の初めてのワールドカップ出場が消えてしまいました。

終了直後に「ウソだろ?」とうつむくカズ選手の悲しそうな表情は忘れられません。

もうひとつはその4年後、「ジョホールバルの歓喜」でついにつかみとったフランスワールドカップの出場権でしたが、

直前のフランス合宿でカズ選手は北澤選手とともに岡田監督から「戦力外通告」を受け、日本へ帰国させられました。

 

ニヨンの屈辱」と呼ばれた出来事です。

 

カズ選手はこの二つの出来事だけでなく、ブラジル時代やイタリア時代にも数々の辛酸をなめてきました。

その中でカズ選手のしなやかな「レジリエンス」が養われていったのでしょう。

それが表れているのが「ニヨンの屈辱」の直後、北澤選手に言ったこの言葉です。

「俺たちがやってきたことは間違いない。大事なのはこの後だ。」

そしてその言葉通り、ワールドカップ後も、京都サンガ、ヴィッセル神戸、横浜FC、シドニーFCと

自分が必要とされているチームで活躍を続けてきました。

2011年にはフットサルリーグのエスポラーダ北海道にも参加し、

翌年のFIFAフットサルワールドカップに日本代表として出場しています。

「ドーハの悲劇」から19年、悲願のワールドカップ出場を果たしました。

そして2014年にはブラジルワールドカップのJFAアンバサダーも務め、

2017年3月には「50歳14日」で「公式戦世界最年長得点記録」を更新しました。

大きな逆境をバネにして、さらにメンタルポジションを上へ上へと高めてゆくキング・カズの「レジリエンス」は

「戦力外」が生み出した「規格外」サイズと言えるかもしれません。

キング・カズ、50歳の誕生日の言葉。

まだ5合目です」。

七転び八起きのレジリエントライフはまだまだ続きます。

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