クラウドファンディングで「レジリエンス」を意識した理由~そしてコロナ後に高齢者がすべきこと

 

ある会社を通じてクラウドファンディングのプロジェクトを立ち上げました。

https://www.makuake.com/project/pwjproject/

コロナ禍の中で一定量のマスクの調達が可能であるとわかったことと、特定非営利活動法人ピースウィンズジャパン(PWJ)という人道支援や災害支援の活動をしているNGOに知り合いがいたことがきっかけで、「大量のマスクを一刻も早く医療と福祉の現場に届ける」という至極真っ当なクラウドファンディングが企画できました。

しかし予想以上に申請から承認までの手続きに時間がかかり、その間に医療現場への支援の輪も至る所で発生し、また市中のマスクの供給量も増えたことなどもあり、クラウドファンディングスタート時には期待していた程の注目度は得られませんでした。

結局プロジェクトとしては医療現場に届けるはずだった目標の枚数(10万枚)には遠く及ばないさんざんな結果に終わりそうです。期待していたPWJ様にも迷惑をかけることになりました。

いま思うとスタート遅れによる状況の変化の他にも、応援金(寄付金)を「1万円~」と設定したことも失敗につながった原因だったと思います。10万円の給付金のタイミングに合わせたつもりでしたが、一般人にとってはいくら真っ当な寄付だと言っても「1口1万円」は高額過ぎたと反省しています。

またそもそもクラウドファンディングのプラットフォームの特徴の違い(「寄付型」「購入型」「投資型」)などについても勉強不足で今回は結果的に適切なプラットフォームでなかったと思います。

とまあここまではいわゆる新規ビジネスへの挑戦の失敗例として容易に分析できる要素を上げましたが、実は私が一番ショックを受けたのはこのプロジェクトを通じ、自分自身の「発信力の弱さ」と「他者への影響力のなさ」を実感したことです。

当初は「医療&福祉現場にマスクを届ける」という「真っ当なクラウドファンディング」ですから、自分の回りにいる多くの人が賛同してくれて200万円、300万円の寄付はすぐ集まるだろうと楽観していました。

ところが400人も「友達」がいるFacebookで今回私の投稿に「いいね!」を押してくれたのは16人でした。「シェア」をしてくれたのは3人です。

実はこれまでもFacebookで「レジリエンス」のブログを投稿しても反応は同じくらいの数だったので今回が特別少なかった訳でもなかったのですが、クラウドファンディングという初めての試みに対して「寄付」どころかその投稿自体が全く注目されなかったことで自分の至らなさを痛感することになりました。

そもそもFacebookに投稿することはめったになく他人の投稿に時々「いいね!」を押すという「消極的参加者」だったことが、Facebook社会で認知度がなかった原因の一つだったかもしれません。

そう思って他の方の投稿を見るとみなさん「発信力」を高めるためにいろいろと努力しているのがよくわかります。「承認欲求」を満たすだけではない「自己研鑽」の積み重ねにも見えます。

また今回もう一つ気がついたことは自分自身への過信です。

簡単に言えば、そもそも自分が思っているほど「人望」(あの人のためなら何とかしてあげよう)がなかったということです。(会社という組織を離れてから5年も経って「人望」が残っているはずもないですが。)そしてそれは自分がいままで「あの人のためなら何とかしてあげよう」という気持ちを具体的な言葉や行動に表してこなかった反動でもあります。こうした「自分」という要素も加味して考えれば、とにかくプロジェクトの組成全体が「ヘタ」でした。

 

そしてここからやっと「レジリエンス」の話になります。

 

これまでの自分のメンタルマネジメントの癖(スタイル)で言えば、こうやって自分の弱点を自覚してもなお「でもこれが<自分>なんだから仕方がない」とたぶん諦めていたはずです。

またこうして自分の弱い部分を言葉にして表出することもしなかったと思います。

しかし最近「レジリエンス」の原動力として「心の可動域」ということを考えるようになってから少し自分のメンタルが変わりました。

特に65歳を過ぎて『高齢者の「心の可動域」が狭くなる』感覚がわかるようになったことも大きな要因です。

つまり高齢者になると身体だけでなくメンタルもその場から動こうとしなくなるのです。高齢者になるほど「意固地になる」という現象はこれかなと思います。

どうせ自分はこうだから。やるんじゃなかった。もういいよ、ほっといてくれ。と、どんどん自分の内側に逃げ込んでしまうのです。

これでは「レジリエンス」が働きません。

すべてメンタルが「諦め」の方向にしか向かわなくなるのです。

 

ちょっと話がそれますが、今回のコロナ禍の中で、私を含め高齢者の生活はあまり変わらなかったように感じます。

一日中テレビの前で過ごす「巣ごもり」は普段と同じです。「リモートワーク」はそもそも不要です。家族はいつも「ソーシャルディスタンス」。結局のところコロナのせいで高齢者はますます「心の可動域」が狭くなっていったのではないでしょうか。

学校に行けなくなった子どもたちは先生とオンラインによる新しい勉強の方法を編み出しました。毎日の献立に苦労するママたちはインターネットに簡単レシピをシェアしました。会社に行けないサラリーマンたちはオンライン会議とオンライン飲み会を始めました。休業を余儀なくされた飲食店の人はデリバリーとテイクアウトに切り替えました。芸能界の人たちはYouTubeで医療従事者のみなさんを応援しました。

みんなこの苦難の中で様々なアイデアを出し合い、生き抜くためにそして誰かを助けるために「レジリエンス」を発揮してきました。

何も変わらなかったのは高齢者だけではないでしょうか。

ですから高齢者がコロナ後にまずやるべきことは、「生活の新様式」ではなく「メンタルの新様式」に取り組むことです。

メンタルを動かして「心の可動域」を広げるためには何かを始めることです。何かを始めれば失敗することもあります。でも失敗すれば「レジリエンス」が働きます。

私自身はまず今回のクラウドファンディングで打ちのめされた自分の「発信力」を高めることに挑戦してみようと思います。これもコロナから学んだ「メンタルの新様式」です。

つまりこれまで避けてきた「自分はこう思う」「こうすべきではないか」という素直な気持ちを自分の言葉で綴ることから始めます。

そしてクラウドファンディングにもう一度トライします。

PWJを通じて世のため人のためになるプロジェクトを次はじっくりと研究しながら組み立てます。

https://peace-winds.org/

 

「心の可動域」を広げる4つの行動は、「学ぶ」「考える」「笑う」「歩く」

そして「心の可動域」が広がると「レジリエンス」が生まれると考えています。

これこそが特に高齢者が意識するメンタルマネジメントではないでしょうか。

 

人生100年時代をしぶとく生き抜くために。メンタルの新様式へ。いまこそ「レジリエンス」

(ほり)

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