#vs.コロナ#心の可動域
#メンタルの新様式#いまこそレジリエンス
自分のメンタルを考える機会にしよう!
今回のコロナ禍(vs.コロナ)では、「正義中毒」「自粛警察」「○○狩り」「感染差別」といった過度に偏った道徳観や身勝手なバッシングが目立ちました。
SNS上では医療現場のみなさんに感謝の意を表すプロジェクトがいくつも立ち上がっているのに、一方では医師や看護師の子どもを学校や幼稚園に来させないといった自己中心的なメンタリティの発現に違和感を覚えた人も多いでしょう。
これは「炎上」というカタチで日常でも時折見られた現象ですが、コロナによってさらに広く炙り出された気がします。
「正義中毒」という言葉を使われた脳科学者の中野信子先生は、「正義中毒」は「攻撃対象を見つけ罰することに快感を覚える」脳の働きで、「依存症」と同じだそうです。(「人は、なぜ他人を許せないのか」中野信子著/アスコム2020年)
人の不幸を喜ぶ「シャーデンフロイデ」と同じ種類の感情でしょうか。
「依存症」と言われてしまうとそれ以上その人たちの言動を強く批判できなくなりますが、中野先生によれば「私はいまこの状態だが、本当にこれでいいのか?」と「自分を客観視」することで「正義中毒」は抑制できるそうです。
こうした自分の固定観念化された「思い込み」や「偏見」に気づくことで修正できるということだと思います。いわば「メンタルの癖」を治すことかもしれません。
これは「レジリエンス」を発揮させる上でも有効な方法です。
「レジリエンス・スキル」のひとつと解説している本もあります。(「レジリエンス・トレーニング入門」宇野カオリ/電波社2018)
私はこのメンタルの柔軟性を「心の可動域」と表現しています。
そもそもは脳の働きが衰えた高齢者がキレやすくなるのは、「心の可動域」が狭まったからなのではないかと考えたのが始まりです。
そして「心の可動域」を狭める原因は「高齢化」の他にもいろいろあるのではないかと思い当たりました。
自分自身でも、例えば「恐怖」「不安」「憎悪」「欲望」「快感」「集中」「制約」などによって、行動や思考の選択肢が少なくなって「心の可動域」が狭まる経験をしてきました。
他の人から「心が狭い」「器が小さい」と指摘される自己中心的な感情の動きです。
今回の「vs.コロナ」では「恐怖」を始め「心の可動域」が狭まるいくつかの要因がありました。
いい機会ですから自分のメンタルを覗いて「心の可動域」が狭くなっていないか「自分を客観視」してみてはどうでしょうか。それも「メンタルの新様式」です。
よく「心の可動域」を広げるというのは「我慢すること」ですかと聞かれます。
もちろん「我慢」も必要ですが、それよりもまず「我慢できない自分」を見つめ「なぜ我慢できないんだろう?」と自己分析することが「客観視」です。「我慢」だけでは「ストレス」になるだけです。
私は「心の可動域」にはいくつか軸があると考えています。
身体には「肩甲骨」「膝関節」「股関節」など可動域を広げる場所がいくつもあります。同じように「心の可動域」にも意識する感情の軸があるのではないでしょうか。
その軸を発見するために自分を客観視することが必要になります。
私はいま「自分軸(自己中になっていないか)」「我慢軸(何に怒っているのか)」「フレックス軸(こりかたまっていないか)」「レジリエンス軸(あきらめていないか)」「ポジティブ軸(切り替えられているか)」「感謝軸(周りに感謝できているか)」「プレッシャー軸(何かを意識しすぎていないか)」という7つの軸を設定して、自分の「心の可動域」をチェックするようにしています。
そしてここでは詳しくは紹介できませんがその軸に沿って「心の可動域」を広げる「メンタルストレッチ」もしています。簡単に言えば「考える」「学ぶ」「笑う」「歩く」という4つの基本行動の中で7つの軸を意識すると「心の可動域」が広がり「レジリエンス」が刺激されて前向きになれます。「メンタルの癖」を矯正する自己流エクササイズです。
最近では長期間の「巣ごもり」が「心の可動域」を狭め、家庭内に様々なトラブルを引き起こしているという話も耳にします。こんな時こそ「自分のメンタルを考える」時間を作ってみてはいかがでしょうか。
「メンタルの新様式」
「心の可動域」を広げよう!
いまこそレジリエンス。
(ほり)
この記事へのコメントはありません。