「カーネル・サンダースのスーパーレジリエント人生」

カーネル・サンダースは、65歳からチキンビジネスを始めました。

私の「人生モデル」です。

「65歳までに手に入れたことを結集すれば、新しいスタートが切れる。

錆びつくより、擦り切れる方がましだ。

じっとしていて錆びつくより、身を粉にしている方が好きなんだ。」

 

1890年9月9日、ケンタッキー州の隣のインディアナ州でサンダースは生まれました。

彼は幼いころに父を亡くし、工場で働く母をサポートするために6才で料理を始めます。

そして焼いたパンを弟妹と母が誉めてくれた時の喜びが、

「おいしいもので人を幸せにしたい」というKFCの理念につながっていきます。。

 

さらにサンダースは家計を助けるため10才から働きに出て様々な仕事を経験します。

農場、鉄道員、判事助手、保険外交員、フェリーボート会社、商工会議所秘書、

ランプ製造販売、タイヤのセールスマンなどなど。

15歳の頃には母の再婚相手に暴力を振るわれ家出もしました。

15歳にしてすでに波瀾万丈の生活を送っていたようです。

 

それでもサンダースは、30代後半に初めての起業をします。

ケンタッキー州でガソリンスタンドを始めたのです。

そこではガソリンの注文の前に埃まみれの車の窓を洗い、

ラジエーターの水を確認するという独自のサービスを行っていました。

「他人に一生懸命サービスする人が、最も利益を得る人間である」というサンダースの信念からです。

そしてその後ガソリンスタンドの一角を改装して、たった6席の小さなレストラン「サンダース・カフェ」を開きます。

「クルマにはガソリン、人にはおいしい食事が必要」

これが飲食業への出発点でした。

 

さらにその後最愛の息子を扁桃腺炎で亡くすという試練も乗り越え、

ガソリンスタンドはサービスの良さ、カフェは料理のおいしさで繁盛していました。

しかし近くにバイパスが出来て交通量が減り、また大恐慌と大干ばつによって、

周辺の農民のガソリン代の売掛金の未収が増えたこともあり、

なんとガソリンスタンドは倒産してしまいます。

しかし彼は「サンダース・カフェ」だけでも続けたいとがんばりますが、

今度はそれも火災で焼失してしまいます。。

 

それでもサンダースは何度も再建に挑むなかで、

とうとう秘伝の「フライドチキン・オリジナル・レシピ」を完成させました。

しかしすでに負債を多く抱えていたサンダースは、やむなく店舗経営から撤退します。

その時サンダースはすでに65歳でした。

 

しかし、不屈のサンダースはここから

「秘伝のレシピを教えるかわりに、売れたチキン1つにつき数セント受けとる」という、

画期的なフランチャイズビジネスを思いつきます。

すでに70歳近いサンダースでしたが、車1台で全米中を走り回り、

レストランでフライドチキンレシピのノウハウを実演してFC契約を取る行脚に出ます。

しかし当初は70歳の老人の飛び込み営業には誰も見向きはしませんでした。

 

いくばくかの年金でガソリンを補給し、車の後部座席で夜を過ごし翌朝また営業に行く。。

そんな若者でも途中で音を上げてしまいそうな方法でセールスを続けました。

その努力の甲斐もあって、やっと飛び込みが1000店舗を越えたところで最初の契約を取ります。

その後事業はとんとん拍子に大成功を収め、73歳の時には600店舗を超えるチェーンまで拡大します。

74歳で第一線を退いた後も、サンダースは「KFCのシンボル」として

あの白スーツにステッキ姿で世界中の店舗を回る旅を亡くなる90歳まで続けました。

 

いかがでしょうか。壮絶にしてスーパーレジリエントな一生と言えますね。

 

「人生で起きた全ての苦難に打ち勝つという貪欲なまでの意欲」(娘の伝記より)。

「人生は何度でも勝負できる」「人を幸せにすることに引退はない」と語っていたというサンダースおじさん。

「人生モデル」にするには、まだまだ自分の「レジリエンス」が足りない気がします。

(参考:文芸社文庫「カーネル・サンダース」藤本隆一著)

 

 

 

 

関連記事

  1. 「中村天風とレジリエンス」

  2. メンタルの底力~心にはこんな力があったのか②

  3. 人生は敗者復活戦

  4. 「災害医療スペシャリスト」の仕事。

  5. 日野原重明先生

  6. シャークボーイの話

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。